日記・コラム・つぶやき

2020年6月28日 (日)

突然の攻防戦

それは、夕食を終えたくつろぎの時間でした。

まるで、「真珠湾」のように腹痛が襲ってきたのです。

「こりゃ、いかん」。

あれか、これかと口に入れたものを思い返しては、体内で悪さをしているテキに立ち向かいました。

血圧は160を超えました。

防戦のかたわら、健康の有り難みや、不摂生や、仕事中でなくてよかったなどの思いが断片的に浮かびます。

起きていられず横になり体力を温存しては、再びの出陣。

そうこうすること1時間。テキはうそのように退散しました。

ヒャー、終戦です。平和の有り難みを感じます。

健康、バンザイ \(^o^)/。

 

 

 

 

2020年5月 7日 (木)

遂に体験!

実は、昨秋の定期健診で引っ掛かっていたのです。

バリウムから内視鏡すなわち胃カメラ検査への指示。

ご丁寧にも市の健康増進課からは、検診結果を3度ほどせっつかれ

観念して本日受けました。飲みました。

不安感からか涙が!何度かオエ、オエしながら

自分の内臓、そう、食道から胃の奥まで一通りモニターでウォッチングしたのでした。

20分ほど掛かったでしょうか。

横になり、マウスピースを加えた私の肩を、看護師さんがずっとさすってくれていました。

結果は「リスクはなし」。

おまけにピロリ菌の検査までして頂きました。

もうしばらく現役でいたいと思います。健康管理をしつつ頑張ります。

 

 

2020年4月24日 (金)

手作りマスクのプレゼント

「新型コロナの終息と健康を願って」との添え書きと共に

素敵な手作りマスクが送られてきました。

ふるさと長崎の旧友 Yさんからです。

全国的に「緊急事態宣言」が発せられ、感染数の推移には注目の毎日です。

あろうことか、長崎では、イタリア船籍のクルーズ船が修理の為に寄港したことで感染者が増えています。

横浜港に停泊したダイアモンドプリンス号を連想しました。

コロナ禍はあの頃はまだまだのどかで他人事の域を出ませんでした。

しかし、あの時点から一気に神奈川県下及び全国各地に広がったように思います。

今や「緊急事態宣言」の下、日々戦々恐々です。

目に見えない敵との戦い。先を考えると不安が襲います。

人と人の温かい繋がりを大切にしながら乗り越えて行きたいと思います。

マスクを掛けたらYさんの温もりが伝わって来ました。

 

2020年4月15日 (水)

元気の出る話し

アゴラの校区の小学校では、この長期休暇に丁寧な宿題を出しています。

「ステイ ホーム」に不慣れな子どもたちは、

「何をやったらいいのか、分かんねェ」状態です。

新学年に進むや、先きに進めない状況に、

6日の始業式では2週間分の宿題が出て、子どもたちは持ち帰りました。

そして、当初20日までの休校予定が連休明けまで伸びたタイミングで

更に2週間分の宿題が出ました。その配布については

ナント、担任の先生たちが各戸配布をしてくれたそうです。

何だか嬉しくなりました。

「先生、ありがとう!がんばりまーす」という声が聞こえてきそうです。

 

 

2020年4月14日 (火)

カミュ著「ペスト」から

新型コロナの感染症拡大を阻止する自粛打ち出しの中で

アゴラとしてどうするか、大いに揺れ動き、心が一点に定まらなかった日々がありました。

今、ようやく5月6日までの休塾をスッキリと心穏やかに過ごしています。

「一刀両断」・・・きっぱりとスピード感を持って物事に処することが美徳とされています。

一方では、「熟慮を重ねる」という真反対の美徳も存在します。

今回の場合、価値判断の基準があいまいなゆえに、はたまた未熟さゆえに

ためらい、ざわつき、むかつき、違和感を感じ、腑に落ちない感情を抱え込む私自身がいました。

それは、ストレスとなり自己否定となり、心の奥が疲弊しました。

「ペスト」の一節に「確かなことは僕がためらっていることだ」とあります。

カミュはクリアーカットできないグレーゾーンこそ身体感覚だというのです。

全てが善ではなく、また悪でもないわけですから、簡単にコトの良し悪しを語ってはいけないと。

揺れ動く・・・これこそ人間! 自分の身体が持っている本来的な生物としての直感だと。

少なくともそうした考え方を他者にも自らにも認める私でありたいと思います。

 

 

 

 

 

2020年3月30日 (月)

名残り雪

ずっと昔、「名残り雪」というフォークソングがありましたっけ。

若かった心を惹きつけた美しいメロデイと歌詞は今でも口をついて出てきます。

昨日、絶えて大雪の無かったこの冬を名残り惜しむように「大雪」が降りました。

夜来の冷たい雨は早朝にはしんしんと降る雪に変わり、雪景色になるまで時間は掛かりませんでした。

満開の桜花の上に降り積もる雪という逆転劇です。

折りからコロナウィルス拡大予防策で外出自粛が打ち出され、

「 天の采配かも?」と我が家でくつろいだ雪見気分の一日でした。

そして今朝、道路の凍結もなく雪害弱者の私にとってラッキーな朝でした。

支障なく出勤し、春期講習後半をスタートできたのです。

2020年2月28日 (金)

新型コロナウィルス

今から700~800年前の鎌倉時代。

疫病が蔓延して市街のあちこちには死体が転がっていたとの記録が残っています。

多くの重症患者や死人を出しながらどうやって終息したのでしょう。

翻って21世紀の今、新型コロナウィルスが世界的な広がりで勢いを増しています。

昨日、安倍首相は国内の小・中・高・特別支援学校に3月2日から春休みまで

臨時休校とするよう要請を出しました。

驚きました。そんなに大ごとだったのですね。

子供たちは下校時、大きな荷物をいくつも抱え、まるで明日から夏休みといった風情です。

しかし季節は北風の吹く年度末。

学年末試験や終業式、卒業式、いや、入学試験がこれからという高校や大学があります。

秩序を乱しても守るべき人の命。当然でしょう。

一日も早い収束を願うばかりです。

 

 

2020年2月 6日 (木)

さわやかな出来事

昼過ぎ、車で出勤の道すがらのことでした。

何があったのでしょうか。

若い女性が年配の女性を抱き起こそうとしていました。

傍らに自転車が停めてあります。

てっきり交通事故かと思ってしまいました。

道路脇に車を止めて駆け寄り、事情が判りました。

老婦人が買い物帰りに歩き疲れ、ひょいと腰を下ろしたところ

植え込みに反発され、顔から道路に転んだとか。

そこを通りかかった若い女性が心配して関わっているところに、たまたま、私が通りかかったというわけでした。

ご婦人は病院を勧めても自宅に送り届けることを提案しても意思決定をされません。

そこに、またまた、通りがかった精悍な若者。

テキパキと事態を把握し「 救急車を呼びましょう 」と、任せてオーラ全開です。

老婦人の同意を得て119番に連絡したその人は、

救急車を待ちながら「 ボク、実は警視庁の者です 」と名乗られました。

ナニナニ、絵本のような展開!

一方、若い女性も感心です。

女子学生でしょうか。

「あなたのお陰です。偉いわね」とひとこと言わせていただきました。

こういうの、マウンテンと言うのだそうですね。

それでも何か、3人がかりで良いことを的確にできたのではないかと

さわやかな気持ちになったのでした。

 

 

 

2020年2月 2日 (日)

ひとまずピリオド

30年ほど前にお世話になった、I 婦人の告別式に参列しました。

穏やかな面持ちで眠る彼女にお花を上げて、最後のお別れができました。

喪主はご長男。

親族はもちろんのこと、地域で長らく交友した方々がご遺族を囲み友人葬です。

式進行の中心者から彼女の89年の人生が語られました。

昭和初期に生を受け、時代に翻弄されながらも、親身に人の話を聞き誠実を貫いた方でした。

貧しかった子育て時代。

様々な仕事をし、少しゆとりがみえたのは、ご長男が就職した頃だそうです。

彼女の思いを継ぎ現在、お孫様も含めご遺族は福運豊かな人生を歩んでおられます。

お母さまから学んだ「人間の価値は、経済的社会的なものではない。どれだけ他者を思いやれるかだ」と

頭を上げて仰っていました。

「母の歌」が流れていました。

庶民の母として精いっぱい生きたご生涯だったと思います。

I さん、ありがとう!お世話になりました。

ひとまずはピリオドを打たせて頂きます。

 

 

 

 

2020年1月 2日 (木)

一年の初めに

国連高等弁務官を勤め上げて昨年お亡くなりになった緒方貞子さん。

テレビで彼女のドキュメントを見ました。

40歳にして国連の舞台に躍り出た人生は「台所から国連へ」と表現されました。

大学の教壇に立つほどの能力の持ち主であったとはいえ、

主婦として家内を切り盛りし、二人の子育てに専念する日々との落差は尋常ではありません。

もちろん多くの方々の後押しがあったわけですが、

彼女の逡巡の壁を破ったのは、何だったのでしょうか。

5.15事件で暗殺された犬飼毅を曽祖父に持ち、外交官の父の下で外国生活を経験したことは大きかったと思われます。

それ故に、常人以上の「知への探求」と「視点の高さ」を持ち合わせていたことは想像するに余りがあります。

しかし、何よりも「日本はなぜ豊かな国アメリカと戦争をしたのか」、その理由を知ることへの執念、

そして行き着いた答えの「責任者の無責任」を、自分だったらと置き換えた使命感だったのではないでしょうか。

後年、UNNHCR(国連高等弁務官)として難民問題と直面する彼女は、

「難民の命を守るために」という判断基準を堅持して、数々の打開策を打ち出して成果を上げて行きました。

ルールや前例に拘り、無意識的にも差別意識に支配されるスタッフに対し、リーダーとして毅然と指示を下すのです。

一人の女性の先輩として彼女の生き方を知るとき、学ぶべきことの多さに圧倒されます。

そして、2020~2030年のこの10年間が人類の幸福、地球の平和に

とても大切な10年間であるという指摘に深く納得します。

私にできることは何があるか、考えつつ取り組んでいく一年にしようと決意しています。

 

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